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ヴァン (トルコ語: Van, テンプレート:Lang-ota, テンプレート:Lang-hy Van,[1] テンプレート:Lang-ku) はトルコ共和国東部の都市。人口は280,000人(2001年)。ヴァン県の県都。トルコ共和国で最大のであるヴァン湖の東岸に位置する。ワンとも表記。

歴史

紀元前9世紀ごろから紀元前6世紀ごろまでウラルトゥ王国首都としてトゥシパ(Tushpa)と呼ばれていた。その後、アルメニア王国の都市として栄えた。

西暦628年から640年まで東ローマ帝国の支配下であったが、アラブ人イスラム教徒によって侵略される。アラブの勢力が衰えると、地域のアルメニア人の統治者が現れる。統治者は最初はアニ王国 (en:Kingdom of Ani) に頼っていたが、908年ヴァスプラカン王国 (en:Kingdom of Vaspurakan) の樹立を宣言する。この王国は特定の首都を持たず、裁判所はヴァンや他の町と持ち回りであった。1021年ヴァスプラカン王国の最後の王John-Senekerim Artsruniが、東ローマ帝国に領土を引き渡す。1050年代に入ると、セルジューク・トルコがヴァスプラカンを侵略し始める。1071年マラズギルトの戦いで勝利した後、周辺一帯を支配下に置いた。その後1240年代までの20年間、ルーム・セルジューク朝の支配を受ける。1240年代になって、町はモンゴル軍によって占領される。14世紀には黒羊朝ティムール朝の支配を受ける。

15世紀前半、ヴァンはオスマン帝国サファビー朝によって領有が争われる。1502年サファビー朝がヴァンを占領したが、1515年オスマン帝国に取って代わられる。しかし長くは続かず、1520年サファビー朝が再び町を奪還する。最終的に1548年オスマン帝国が町を支配する。

第一次世界大戦時、1915年4月20日、ヴァンのアルメニア人オスマン帝国政府に対して蜂起し、町を占領した。その後すぐに、オスマン軍はヴァンに侵攻し、アルメニア人住民を追放するが、その際に多くのアルメニア人が殺されたとされる。

気候

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関連項目

出典

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外部リンク

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  1. Slovar sovremennikh geographicheskikh nazvaniy (in Russian) / Ed. by acad. V.M. Kotliakov, エカテリンブルク, U-Faktoria, 2006