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聖徳太子の地球儀
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'''聖徳太子の地球儀'''(しょうとくたいしのちきゅうぎ)は、[[兵庫県]][[太子町 (兵庫県)|太子町]]の[[斑鳩寺 (兵庫県太子町)|斑鳩寺]]に伝わる[[ソフトボール]]大の[[地球儀]]のこと。 == 概略 == 表面には南北[[アメリカ大陸]]や、[[ユーラシア大陸]]などが[[レリーフ]]のように描かれている。また、1800年代に発見された[[南極大陸]]に相当する大陸や、[[ムー大陸]]に相当する部分にも大陸が描かれている。[[西暦]][[606年]]に聖徳太子によって建立されたと伝わる斑鳩寺には、[[聖徳太子]]ゆかりとされる宝物が所蔵されており、[[江戸時代]]に[[目録]]『常什物帳』が作成された。その中の「地中石」と記載されているのがこの地球儀であるといわれ、少なくともその頃から存在していたと考えられている。 == 科学的な分析 == [[2003年]]3月に放映された[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]の『[[特命リサーチ200X]]』で、材質などの科学的な分析が行われた。分析結果により材質は[[石灰]]や[[海藻糊]]であることがわかった。建材としてよく知られている[[漆喰]]の技法で造られた可能性が高い。地球儀の表面には「[[メガラニカ|墨瓦臘泥加(メガラニカ)]]」という文字が書かれていることも判明した。 === 想像上の大陸「メガラニカ」(Magallanica) === 「墨瓦臘泥加(メガラニカ)」とは、[[南半球]]に存在すると考えられていた想像上の大陸である。 南半球に巨大な大陸があるという説は、古くは2世紀[[古代ギリシア]]の[[クラウディオス・プトレマイオス|プトレマイオス]]の地図に見られる。[[大航海時代]]に[[フェルディナンド・マゼラン|マゼラン]]が、[[マゼラン海峡]]を発見した際に、現在の[[ティエラ・デル・フェゴ島]]を幻の南方大陸の一部として報告したことから、[[メガラニカ|メガラニカ大陸]]の名称が広まった。メガラニカとはマゼランのスペイン名にちなんで付けられた名称である。一般的には“'''未知の南方大陸'''”として知られている([[伝説上の大陸]])。 === 世界地図の伝来 === 日本における[[世界地図]]の歴史は、中国で刊行された『[[坤輿万国全図]]』([[1602年]])から始まる。[[イエズス会]]の[[宣教師]][[マテオ・リッチ]]により伝えられたが、この地図には既に南半球に広がる広大な大陸「メガラニカ」が描かれていた。 === 地球儀の作製年代 === メガラニカの名称が書かれていることから聖徳太子(574-622)の時代ではなく、1602年以降の製作である可能性が高い。『特命リサーチ200X』では、日本で最初の[[百科事典]]『[[和漢三才図会]]』([[1712年]])の編纂者、[[寺島良安]]が製作したという[[仮説]]を紹介している。『和漢三才図会』に掲載されている「[[山海輿地全図]]」と聖徳太子の地球儀の地形がほぼ一致するという理由などからである。これらのことから、聖徳太子の地球儀は江戸時代に作製された可能性が高い。 === 謎のムー大陸 === この地球儀には「山海輿地全図」には存在しない大陸が[[ムー大陸]]に相当する位置に描かれている。ムー大陸の初出は、[[ジェームズ・チャーチワード]] の、『失われたムー大陸』([[1931年]])で、「和漢三才図会」所載「山海輿地全図」より200年ほど後の事である。 {{DEFAULTSORT:しようとくたいしのちきゆうき}} [[Category:聖徳太子|ちきゆうき]] [[Category:日本の伝説]] [[Category:日本の地図]] [[Category:江戸時代の文化]] [[Category:オーパーツ]]
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