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'''羅祖'''(らそ、 [[1442年]]([[正統 (明)|正統]]7年) - [[1527年]]([[嘉靖]]6年))は、[[中国]]の[[明]]代に興った新興宗教である[[羅教]]('''無為教''')の開祖である。 羅祖は、[[禅宗]]の[[馬祖道一|道一]]を馬祖、[[道教]]の[[呂洞賓]]を呂祖、などと呼ぶのと同様に、羅家(羅姓)の祖という一般的な呼び名であり、尊称でもある。その本名については、はっきりせず、各資料によってかなりの異なりがある。ただ、文字の異同は音通による相違なども含まれており、それらを合わせ考えると、'''羅清'''(ら せい)を本名とするのが妥当かと考えられている。 [[山東省]][[莱州]]即墨県の牢山(現在の[[青島市]])の出身であるという。その生家は軍戸であり、羅祖自身も悟道以前は一兵卒であり、その任地が[[北京市|北京]]より北方の密雲衛であって、羅祖は運糧にも携わっていたと、その伝記では語られている。彼が宗教生活に入ったのは、軍籍を離れる年齢である50歳以降のこととされる。 [[1509年]]([[正徳 (明)|正徳]]4年)に、密雲県古北口にある霧霊山(或いは悟霊山)で、羅教を立教したという。その悟道の機縁は『[[金剛般若経]]』の教理を会得したことによるとされ、それを元に三教一致の道理を説いた。その教理をまとめたのが、羅教の根本[[経典]]とされる[[宝巻]]の「'''五部六冊'''」であるとされる。 別の伝記によると、その得道の地を[[南京市|南京]]近郊の九華山であるとするものもあり、出身が[[甘粛省]]であって、[[回教]]徒の暴動の鎮圧に功績を残したとするものがあったりする。皇帝の御前で、[[西域]]僧との問答に勝利し、また神通力を現したりしたことで、「山東羅祖聖君護国斉天大聖」の号を賜ったとする資料まで存在し、潤色の跡が甚だしくなる。 == 参考文献 == *[[澤田瑞穂]]「羅祖の無為教」(『東方宗教』1,2) *[[塚本善隆]]「羅教の成立と流伝について」(『東方学報』(京都) 17) {{DEFAULTSORT:らそ}} [[Category:1442年生]] [[Category:1527年没]] [[Category:明代の人物]] [[Category:中国の宗教]] [[Category:青島出身の人物]]
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