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[[画像:Tikalemblem.jpg|frame|right|ティカルの紋章文字。]] '''紋章文字'''(もんしょうもじ; Emblem Glyph)は、[[ハインリヒ・ベルリン]](Heinrich Berlin)が[[1958年]]に[[マヤ]]の都市遺跡か地名を表す文字として発見した、一連の[[マヤ文字]]を指す。 下に述べた要素で構成される。 #ベン=イッチと呼ばれる接字(T168。現在では、「アハウ」と読み、「支配者、王、高貴な人」を表すことが判明している。;Tは、[[J.エリック S.トンプソン|エリック・トンプソン]]のカタログ番号。) #トンプソンが水に関連する文字と考えた接字(T32~T41)。現在では、「クル」「チュル」と読まれ、「神聖な」という意味を表すことが判明している。) #主字。都市遺跡ごとに異なる。 ベルリンは、さらに、ある都市の[[石碑]]に別の都市の紋章文字が刻まれていることから、両都市間に何らかの関係があったことを示し、マヤの政治地理学的な分析が可能になるかもしれないと述べた。現在では、ベルリンの予想したとおりに研究及び碑文の解読が進み、有力な都市とそうでない都市、支配従属関係など、都市間の階層性まで判明している。 紋章文字の発見によって、[[マヤ文明#マヤのカレンダー|暦]]以外の文字があること、碑文が歴史を刻んでいることを示唆する手がかりがあたえられたが、実際のところ紋章文字が地名を表すのか、その都市の守護神を表すのか、都市名なのか、王朝名なのか論争が続いてきた。[[デイビッド・スチュアート]]などの研究者によって、地名を表すものや支配者の称号を表すもの、[[ティカル]]と[[ドス・ピラス]]のように王朝の家系を表すものがあることが判明してきている。 ==紋章文字とマヤ都市の序列== ベルリンが指摘したように、紋章文字については、有力でない小規模な都市は独自のものをもたず、石碑には近隣の大規模な都市のものが現れることが知られていた。このことから都市間の支配従属や同盟関係などがわかるのではないかと考えて具体的に理論化しようと試みたのがジョイス・マーカスである。 彼女の1976年の論文<ref>Marcus,Joyce 1976 Emblem and State in the Classic Maya lowlands,Dumbarton Oaks </ref>は、上位の都市と従属する下位の都市が存在し、上位の都市は対等な同盟、対立関係の都市しか示さず、下位の都市は上位の都市について言及するので支配従属関係や都市間の階層性がわかるのではないかと考えたのである。そして最上位の都市が現れているものとして[[731年]]に建てられた[[コパン]]の石碑Aと[[849年]]のセイバル石碑10号が選ばれた。つまり、731年段階では、[[ティカル]]、コパン、[[パレンケ]]、[[カラクムル]]<ref>ただし、エル・ペルーと考える説もあり、厳密に同定されていないため、Qと呼ばれることがある。</ref>の4つの都市の紋章文字が刻まれ、8世紀前半から中葉のマヤ世界の4つの首府と考えられる。また、セイバル石碑10号では、ティカル、セイバル、カラクムル<ref>前の注に同じ。</ref>、モトゥル・デ・サンホセの文字が刻まれていることから9世紀中葉当時での4つの首府とした。 *([[ペテン県|ペテン]]中央部) :1級;ティカル :2級;[[ナランホ]]、[[アグアテカ]]、[[マチャキラー]] :3級;[[ワシャクトゥン]]、ヒンバル、イシュルー :4級;エル・エンカント、シュルトウン、ナクム *([[ウスマシンタ川]]中流域周辺) :1級;[[ヤシュチラン]] :2級;[[ピエドラス・ネグラス]] :3級;[[ボナンパク|ボナンパック]]、エル・カヨ :4級;ラ・マル、ラ・フロリダ、モラーレス *([[モタグァ川]]周辺、[[グアテマラ]]東端部、[[ホンジュラス]]西端部) :1級;[[コパン]] :2級;[[キリグア]] :3級;プシルハー :4級;ロス・イゴス、リオ・アマリージョ、サンタ・リタ *([[チアパス州|チャパス州]]北部、ウスマシンタ川下流域周辺) :1級;[[パレンケ]] :2級;ポモナー :3級;エル・レティーロ、ホヌタ、ミラフローレス、トゥルトゥゲロ :4級;テイラ、チュクティエパ、チニキハー 第1級にあたる都市は、その地域で最初に紋章文字を持つようになり、コパンを除いて二つ以上の紋章文字を持っている。遺跡の規模も、その地域では最大級で、当然[[石碑]]も多く建立されている。第2級の都市は独自の紋章文字はもち、第1級の都市と結婚や同盟でつながっているが、第1級の都市であまり記録に残されることはない。第3級の都市は紋章文字を持たず、第1級の都市と第2級の都市に関する記録が刻まれている。地理的には、第1級の都市と第2級の都市の中間のような位置に立地し、その弱体さゆえ王が捕虜になってしまうことも多い。第4級に属する都市ないし町は、紋章文字を持たないだけでなく、記録されることもない。石碑も少ない。都市遺跡の周辺で発見される小規模な遺跡である。 <!-- ==紋章文字の性格== --> ==脚注== <div class="references-small"> <references/> </div> ==参考文献== *Marcus,Joyce :1976 Emblem and State in the Classic Maya Lowlands: An Epigraphic Approach to Territorial Organization,Dumbarton Oaks ISBN 0884020665 <!-- *Stuart,David and Stephen Houston1994/6) :1994 Classic Maya Place Names,Studies in Pre-Columbian Art and Archaeology,Dumbarton Oaks ISBN 0884022099 --> *八杉佳穂『マヤ興亡-文明の盛衰は何を語るか?-』福武書店,1990年 ISBN 4-8288-3321-8 [[Category:メソアメリカ文明|もんしようもし]] [[category:マヤ文字|もんしようもし]] [[en:Maya_script#Emblem_glyphs]] [[fr:Glyphe-emblème]]
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