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'''三上 超順'''(みかみ ちょうじゅん、[[天保]]6年([[1835年]]) - [[明治]]元年[[11月15日 (旧暦)|11月15日]]([[1868年]][[12月28日]]))は、[[幕末]]・明治の[[松前藩]][[法華寺]]の僧。松前藩[[正義隊]]隊長。 明治元年に起こった[[箱館戦争]]により、箱館を占領した[[榎本武揚]]ら旧幕府軍は、[[土方歳三]]を総督と定めて[[松前城]]を陥落せしめ、松前藩兵らは[[檜山郡]]に新築した[[館城]]に退却。旧幕府軍はただちに松前残兵追討を開始し、11月15日に館城攻めが行われた。松前兵全滅の危機に際して正義隊隊長を務めていた三上は右手に大刀、左手に盾代わりのまな板を携えて、味方を逃がすため単身旧幕府軍の前に立ちはだかり、旧幕府軍指揮官・[[伊奈誠一郎]]を殺傷するも、[[横田豊三郎]]、[[堀覚之助]]、[[黒沢正介]]らによって斬殺された。享年34。遺体はその豪傑ぶりを讃えられて旧幕府軍により手厚く葬られた。 現在、館城跡には「三上超順、力試しの石」が残されている。 {{DEFAULTSORT:みかみ ちようしゆん}} [[Category:江戸時代の僧]] [[Category:幕末松前藩の人物]] [[Category:1835年生]] [[Category:1868年没]]
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