国王

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国王(こくおう、英語:king, ドイツ語:König, フランス語:roi, ノルド語:konng, ラテン語:rex)は、君主称号君主号)の一種である。皇帝のような特別に高い地位を有さない、標準的な君主号の訳語として用いられる。特に男性である場合(男王)を指す。

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フランス国王ルイ14世

東洋の王

「王」という言葉は古代中国語に発する。王朝の君主は自らは「帝」と称していたようではあるが、それに続くの君主は「王」を称していた。当時、王は天子の称号であり、春秋時代の統治能力が衰え、群雄割拠の時代になっても封建制の下、各君主は周王を尊重して王を名乗るものはいなかった。のように周を指し置いて「王」を名乗るのは文明外の蛮族を称するようなものと見なされた。しかし、戦国時代には封建制が崩壊し、各国の君主が「王」を名乗ると「王」の価値が暴落した。そのため戦国時代を統一した王の政は自らを「皇帝」と名乗ることになった(始皇帝)。それに続くも皇帝を君主号として使用し、三国時代東晋十六国時代五代十国時代など皇帝が乱立する時代はあったものの、最後の王朝まで至上の君主号であり続けた。一方で「王」は皇帝に次ぐものとされ、皇帝の一族や功臣が各郡などに封じられ、ときに与えられる称号(諸侯王)となった。また、皇帝の支配の及ばぬ外国の君主を「王」にする、擬制することで、「世界を支配しているという事実」を作ろうとした。冊封体制である。そのため、中華文化圏では「王」は中国皇帝から賜る称号であり、中国皇帝に臣従した証しとなった。なお外国の君主の場合は「国王」、国内の場合は「郡王」などに封じ、国王は郡王などより格上の存在であった。そのため外国の王であっても、あまり重要視しない国の場合は、郡王などの格下の称号を与える場合もあった。

日本では早くから冊封体制を脱し、君主には天皇の称号を「皇帝」に相当する称号として使用してきた。一方、実質的な支配者である征夷大将軍は、中国や朝鮮との外交上「日本国大君」の称号を用いた。一方で国内向には「王」の称号を皇族に対して用いている。

君主が国内向けには「国王」と自称していない場合も、中国の皇帝との関係上、対外的に称する外交称号として用いられた事例がある(日本将軍ベトナム太上皇など)。琉球以外の日本では制度上国王という位が設けられたことはないが、天皇を指して国王、王と呼ぶ例は軍記物語などの文献に広く見られる。これは、「国王」ないし「王」が、元来は一般に君主を意味することによるものである。

西洋の王

ヨーロッパの君主には皇帝、国王、プリンスの3つの概念がある。元々は各地域ごとに君主の名称があった訳だが、ローマ帝国以降のヨーロッパの秩序においては、皇帝や教皇から王として承認を受けた存在のみが王であり、そのような承認を受けない小君主が総称的にプリンスと呼ばれた。

皇帝が共和制ローマの職名を起源としているのに対し、英語のkingのようなゲルマン系の王の名称は血統を意味するkinから派生しているため、より血統が重視された。皇帝は実力のある者が推戴されることが基本であり、このためローマ帝国、東ローマ帝国ではしばしば実力者が武力闘争やクーデターによって皇帝となり、神聖ローマ帝国では選挙制が維持された。コルシカ島生まれの軍人に過ぎないナポレオン・ボナパルトは皇帝の方が成り易かったと言えるかも知れない。

ゲルマン系の王は元々は戦争時に臨時に選ばれるもので、これがゲルマン、スラブ系選挙王制につながっているが、この場合でも王の血統を引く事が選出の条件となった。またケルト系タニストリー制でも王の血統を持つ者から選ばれる。近代に入って新たに独立した国々が王制を採用した場合、多くの国では最初から王が存在しないか、既に王家の血統が絶えていることが多かったが、その場合でも自国の貴族から選ぶよりドイツ系の君主の一族を招いて王とすることがしばしばあったのも、王となるのは王の血統を引いた者といった概念があったからである。ヨーロッパではほとんどの場合、王朝交代があっても傍系か女系の血統を引いている。

王位継承法により女性の王位継承を認める場合とそうでない場合がある。フランスドイツなどサリカ法地域では女性の王位継承を認めない例が多い。近代では女性の王位を認める国が増えている。女性の場合女王(じょおう)という。

現在の「王」

近代では立憲君主制を採用する国が多く、そのような国では国王の役割は儀礼的なものとなってきているが、外交や公式・非公式な場での発言などによる政治的な影響力は大きい。

世界の国王

アジア
ヨーロッパ
アフリカ
オセアニア

関連項目

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